無自覚的未遂

 遠距離恋愛が自然消滅する三歩前を歩いている。ティナを、幻滅させた。
 厚い雲に覆われた夕陽を背に、わだかまりを残したまま退出ゲートをくぐる。テーマパークから駅に直結する通りは混雑していた。夏休み期間のためだ。楽しかったねと言い合う家族連れやカップルに押され彼女と距離ができる。手をつないでいればと後悔しても遅く、斜め後ろにいることを確認してはぐれない間隔を保つ。人波に乗りただ足を動かす。

 ティナはパークではなく駅近くの駐車場に車を停めている。駅まで僕と歩くためと、料金がほんの少し割安だから。それから遊んだあと可能なら二人で過ごすため。まあこんな雰囲気じゃ、一緒にいる意味ないと思っているかもしれない。

 両手に下げたお土産の袋を片方に集める。やっと二人きりになれたのだ、振り返って腕を伸ばし無理やりにでも手をつなげばいい。何食わぬ顔でもう少し話したいと言えばいい。先手必勝、わかっている。
 もし、後ろを向いて目が合ったら、今日は帰るねと言われてしまいそうで喉の奥が詰まる。手のひらが汗ばむ。空けた右手はむなしく空振りし続けている。

 地面から放出される熱気と湿っぽい風が不快だ。時折冷たい空気が腕をすり抜け、夕立を予感する。すべてが輝いていたサロニアの秋が懐かしかった。暑さと疲れで頭が現実逃避する。エリアは彼女を大事にと言った。手を離さないで、と。
 駅舎が見えてきて焦りが増す。朝からティナと一緒にいて満足に触れ合えないまま日が沈む。明日からまた授業とバイトの日常だ。彼女はまた通話してくれるだろうか。心が離れ、連絡を取りづらくなり、そして。

 改札口へ続く列から脇に逸れ、振り向いて彼女を待つ。曇り空の下で表情のない顔がこちらを向く。ぽつ、と水滴がティナの帽子に吸い込まれ染みになる。
 口を開きかけ、乾いた唇が引きつれ破れる。気にしない。今日はリップクリームを塗っている余裕などなかった。
「たまくん、私」
「……いこうよ」
 滲んでくる血を舐め何でもないように言う。降り出した雨を口実に、彼女を二人きりの場所へと誘うために。
「うん、行く」
 下心だけじゃない君が足りないのだと続ける前に返事が返される。ティナはもう、デートの最後どこへ行くかを知っている。




 ◆◇◇




 開園前のテーマパークを青く澄んだ空が包んでいる。
 深呼吸して人もまばらなエントランスの広場を見渡す。バイクで来れば爽快だったろう。夕方に雷雨の予報が出ていたから電車で来たのだ。ティナもライトさんも雨のときは危ないから乗るなと言う。クラウドですら僕が免許を取ったと聞いてあまりいい顔をしなかった。車種の相談には喜んで乗ってくれたが、みんな過保護だ。
 こういう時、ジタンは「男には行かなきゃならない時があるもんさ」とか言って味方になってくれるのだった。バイク店へも一緒に行ったし子供の頃より今の方が仲がいい。

 約束の時間が近くなり、駅を振り返って彼女を待つ。しばらくして改札横の階段からティナの頭がひょこ、と現れた。おはようと声をかけるとティナは僕を、正確には僕の着ている服を見て目を輝かせる。
「おはよ、……あ! 青い服!」
「言われた通り着てきたよ」
「ちょっとだけお揃い……ふふ。たまくんの、きれいな色ね」

 服装のどこかに青色を入れない? というのはティナの提案だった。
「ああ、これ気に入ってて。何で青なの?」
 問いながらティナを見る。今日の彼女は少し雰囲気が違っていた。
 日ごろ彼女が好む女性らしい服やヒールのある靴ではなく、ショートパンツにスニーカーと涼しげだ。水を使うアトラクションやパレードで濡れてもすぐ着替えられるようにだろう。上半身は肩ひものないキャミソールのような服に薄いシャツを羽織っている。黒に淡い水色がティナの薄い色の髪や肌に似合っていた。

「だってたまくん、モーグリ柄って言ったら嫌がりそうだから……」
「別にいいけど服は持ってないな」
「何色でも良かったんだけどね。夏だから青にしたの」
 ティナからそう提案された時、服を揃いにすることに意味があるとは思えなかった。
 会って、並んでみるとわかる。僕も似たような格好だから、色だけでなく服のテイストまで合わせたみたいで嬉しくなるのは確かだ。離れていると小さな合致も喜びになる。彼女が教えてくれた新たな発見だった。こうして歩きながらするたわいもない会話さえ気持ちを浮き立たせる。

「ティナ、モーグリ柄の服持ってたっけ? パジャマは見たことあるけど」
「もちろん!」
 総柄だと意外と気付かれないのと悪戯っぽく頷き、彼女は前方へ熱い視線を送った。
 つられて入場ゲートの先を見ると、マスコットキャラのモーグリとチョコボの着ぐるみが愛嬌を振りまいて客と戯れている。
「行こうよ。モグと写真撮ってあげる」
「チョコともお願い!」
「はいはい」

 ここへは以前から一緒に行きたいねと話していた。モーグリの『モグ』とチョコボの『チョコ』がマスコットになっている、先月新しいエリアがオープンしたばかりのテーマパークだ。大学の寮から電車で一時間ほどの郊外にあり、今日ティナは朝早く遠出して来てくれたのだった。

 隣を歩くティナの編んで結い上げた髪が、日よけの帽子の下からのぞいている。それを可愛らしいと褒め、首すじにかかる後れ毛に視線が吸い込まれる。触れたいが人前でいきなり首に触る勇気はまだ持てない。
 そっと指に触れ、手を握ると耳が少し赤くなる。こちらを見上げたティナと目を合わせて笑う。天気もいいし喜んでくれているのがわかって気分が良かった。
 間の悪いことに、大学の同級生に鉢合わせてしまうまでは。

 アトラクションをいくつか楽しみ、日射しが目に眩しくなってきた頃だった。
「……! あの子、気分が悪いのかな」
 ティナの視線の先にはしゃがみこんでいる同年代の少女と、慌てたように話しかける男の連れ。
「あの二人……」
 気付いた時にはもうティナは走り出していた。揺れながら遠ざかるポニーテールと白い太ももがやけに眩しい。


 大学三年の夏、僕らはすれ違いが続いていた。
 僕は相変わらず教職課程で忙しないが、それを忙しいとも感じなくなっている。夜までみっちりある授業にも慣れるもので、土日や空きコマは塾講師のバイトを入れ、夜は週に二、三日飲み屋で働く。残った時間は教員採用試験の勉強にあてていた。バイトは生活費やバイクの維持費、こうしてティナに会うためだ。

 もう、夏も終わりだ。久しぶりに一日中一緒にいられる休日だった。諦めに近い予感を感じながらティナを追って二人に駆け寄る。
 暑さで目眩がしたらしい。連れの男が肩を貸してベンチに連れて行き、ティナが濡らしたタオルで彼女の首を冷やす。
「ありがとうございます……あ、あれ?」
「おお!? 偶然!」
 近づいた僕にベンチの二人が目を丸くする。
「君らも来てたんだ。大丈夫?」
「うん、ありがとう…」
 知り合いの同士の反応に、ティナが驚いてこちらを振りむく。
「お友達なの?」
「ああ、大学の」

 ティナに二人を紹介すると、同級生の少女が僕をちらりと見てからティナに向かって話す。
「私たち彼とゼミの同期なんです。……彼女さんですか?」
「そ、そうね……?」
「疑問形で言わないでティナ」
 恋人になってすぐ物理的に距離が開いてしまったために、友人に紹介する機会はほとんど持てなかった。だからかティナはいまだに幼馴染の延長のような感覚でいるらしい。もう三年目なのに。エッチなことだってそれなりにしてるのに。紛れもなく彼女だから! と訴えると、二人は同時に吹き出した。

「ティナさん、っていうの? いるとは聞いてたけど……こんな可愛いなんて聞いてないぞ! ルーネスのやつもなんも教えてくれねえし」
「ほんとだよ! もっと早く知ってたら私だって……っいえ、なんでも」
 幼馴染のルーネスは同じ大学に進んだ、こっちで僕とティナの関係を知る数少ない人間だ。調子のいいやつだが口は堅い。

「あいつには口止めしてるから。可愛いからこそいいことばかりじゃないし、実際危ない目にもあってるからあまり言いたくなくてさ」
 知らない男に好意を持たれ付け回されていたことを話すと、級友は大変なんだな、と納得した様子をみせた。
「それに聞かれてないしね」
「聞く間を与えてない、だろ! なあ、たまには最後まで飲み会つきあえよ。自慢でも何でも聞くぜ」

 あっけらかんとしているわりに結構しつこい奴だ。一年からの付き合いなのに、ティナについて何も話さなかったことを根に持っているのだろうか。
「苦手なんだよ。ネタにされるの」
「それにしても、お前の口からのろけを聞く日が来るとはなあ」
「ほんとにね。ティナさんの前だとキャラ変わってない? いいなあ、そういうの!」
「そうかな。のろけてないけど」
「それだよそれ」
「ねえ」

 顔を見合わせて含み笑いをする二人は置いておき、ティナを横目に見る。初対面の相手を前に少し硬くなっていたティナも、知った名前が出て緊張がほぐれたらしい。ルーネスのこと知ってるの? と顔を綻ばせる。
「知り合いなんすか? あいつやばいくらい元気っすよ」
「ええ、会えて嬉しいわ! 三人とも仲がいいのね。たまくんのこと、よろしく」
「ほらティナさんもこう言ってるだろ」
「……わかったよ」

 ティナと級友にペースを乱されっぱなしの僕を見て笑っていた少女が、遠慮がちに切り出す。
「あの、よかったらお昼一緒しませんか?」
「もう平気? 立てる?」ティナが心配そうに少女の肩に手を置く。
「はい! ティナさんとお話したくて」
「俺たち邪魔かな?」
「そんなことないわ。でも私たちこそお邪魔じゃない?」
「いいんです! 私たち、付き合ってるわけじゃないから気を使わないで下さい」

 彼女のはっきりした物言いに、同級生の男はきまり悪そうにはは、と頭を掻いた。
 ティナはきょとんとして僕を見る。
「たまくん、行かない?」
「…そうだね、どのレストランにしようか」
 パークガイドを四人でのぞき込む。ティナは事前に調べてきたらしく、迷いなく一点を指さす。

「ここがいいな。モーグリパンケーキが食べられるんだけど…どうかな? 他のメニューも美味しそうなの」
「私もそこがいいです!」
「俺はどこでもいいや」
 じゃあ決まりで、とマップを折りたたむ。どのアトラクションを回ってきたか三人が話しながら歩き出す。その背中を見ながら鞄にしまう。

 こっちのことは放っておいて欲しいのが本音だった。まだ友達同士の関係から、彼女を振り向かせたいあいつも同意見だったろう。だけど女の子が二人揃うと逆らうのは難しい。