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「さてと、喋ってもらいましょうかね」
「ねっ。ティナさんとどこで知り合ったの?」
 賑わうフードコートのテーブル。トレイの横で急かすように級友の拳がどんどんと鈍い音をたてている。
 同じく目を輝かせた少女が彼と笑みを交わす。気が合うんだから付き合ってみたら、なんて僕が言えた立場じゃないから口には出さない。

「君ら楽しそうだね……」
 二人とも見るからにティナに興味津々で、根掘り葉掘り聞く気満々だ。一方ティナはパンケーキに押されたモーグリの焼き印に釘付けだった。自分たちがまな板の上の鯉だとまるで気が付いていない。
「ああ、幼馴染なんだ。保育士をしてる」
「保育士なんですか! 優しそうですもんね」
「ありがとう、あなたも先生を目指してるんでしょ?」
「あ、はいまあ…実はちょっと迷ってて」
「そうなんだ。教育実習は行くの?」
「行きますけど、教師になるかは……」
「そうなの、私もね……」

 ちょっとした人生相談を始める彼女たちを横目に、級友が口を開く。
「へえ、幼馴染で年上……意外でもないか。真面目一辺倒のフリしてなーんか隠してると思ってたんだよな」
「フリってなんだよ、真面目だよどうみても」
「そのわりに気前よく教えてくれるのな」
「バレたからには仕方ないよ」
 今の言い方、ティナはいい気持ちがしないだろうか。決して関係を隠したいわけではないんだけど。ちら、と彼女を窺うとクリームたっぷりのパンケーキに感動していた。
 からからと氷が鳴り、少女がレモネードに挿したストローをかき回す。
「まーまー、付き合ってどれくらいなの?」
「三年目だね」
 向かいの二人は揃っておお、と声を漏らした。ただの事実だが、何だか誇らしくなって思わずふふんと声が出てしまう。二人はまた揃って吹き出……さずにニヤニヤと笑いをこらえている。ティナが僕らを見比べて瞳をぱちくりと瞬かせる。絶対こうなると思ったんだよ。

「ティナさんはどこに住んでるんすか?」
 今度は少女のモーグリバーガーを撮らせてもらっていたティナは、慌てて画面から目を離した。
「あっ……とね、たまくんの実家の近くなの」
「え、じゃあ遠距離なんですか?」
「そこまで遠くはないんだけどね」
「今日は何で来たんすか? 車?」
 言いながら、級友がモーグリの顔を模したライスを躊躇なく崩してカレーと一緒にかき込む。ティナはそれを一瞬眉を下げて見つめるが、前を向いて微笑んだ。
「そう、朝のドライブって気持ちいいわ」
「ひえー、何時起きっすか? お疲れ様っす」
 早起きは慣れたから平気と微笑むティナを、少女が真剣に見つめる。

「もしかして、彼のために免許とった、とかですか?」
「へっ? ……どうして?」
「あっ、深い意味はないんですけど…なんとなく」
 ティナはこっちをちらりと見ながら答える。頰が心なしか赤い。
「えっと…そうね。きっかけはたまくんかな」
「え」
 初めて知らされる事実に間抜けな声が出る。

「え、じゃねえよ。知らなかったのかよ!」
「でもそれだけじゃないのよ、持ってると便利だし……どうかしたの?」
「そんな事聞いてない。それにあのころは僕そっちのけで友達とか家族と出かけてたじゃないか!?」
「だって危ないでしょう? あなたは中学生だったし、何かあったら私…」
「わ、わかったからもういいってばティナ」
 前から「やだーたまくん愛されてるー」と囃し立てる声が聞こえるが無視する。

「ティナさんティナさん、俺一年の時こいつと免許取りに行ったんすよ」
「そうなの?」
「バイト行きやすいとか一人旅したいから、とかカッコつけてたけどさー、一番はティナさんに会いに行くためなんじゃねーのー?」
 じっ……と三対の視線が僕へと注がれる。

「それ、は、あるけど。僕だってそれだけじゃないし」
「煮え切らねえなあ」
「そうだよはっきり言いなよー」
 他人事だと思ってこいつら……! テーブルの下でぐっと拳を握りしめていると、ティナがにこにこして爆弾を投下した。
「どっちでもいいわ。去年いろいろあって引っ越すことになったとき、心配して来てくれて嬉しかったもの。それに私も一番はそうだから」
「やだもうたまくん頼りになるー! しかもラブラブ!」
「たまくん言うな!」
 ティナはティナでそうでしょ、と嬉しそうにするから居たたまれない。「私も」って、「も」って……! 顔が熱くて何も言えずにいると、幸せ者めと肩を揺さぶられる。

「漫画みたい……! ねぇいつから好きなの?」
「どっちから告白したんだ?」
 少女は楽しくてたまらないらしく、さっきからくすくす笑ってばかりいる。級友も口元に米粒をつけて畳みかけてくる。
「質問のペース早くない? 食べられないんだけど! いつからって……覚えてないな。告白は僕から」
「ティナさんは?」
「私も言うの?」
「当然でしょ~」
「それは僕も知りたい」
 僕の追い討ちにティナは苦笑いして答える。

「はっきりわかったのは高校の時で……ずっと一緒だったから、もっと前かも。いつ、って言われると難しいわ」
「ってことは中学かそれ以上前から? 結構ませてんのなお前……なんか負けた気分」
「うんうん、意外! っていうか十分負けてる!」
「うるせえよっ!」
 他人の恋話でそんなに盛り上がれるものだろうか。騒いでいる二人を前にティナは頬を染めて正直に答えている。その横顔を眺め、冷めかけたサンドイッチにかぶりつく。ハチミツとマスタードのソースがいやに甘い。どうでもいいけど「チョコボのローストチキンサンド」っていいのかそれは……?

 級友が氷ばかりになったコーラの底をずず、と啜る。
「こいつちゃんと連絡してます?」
「忙しいの知ってるから平気よ」
「放っておかれたら怒らなきゃだめですよ!」
「……ちゃんとしてるってば」
「私もなかなか予定が合わないの、この間もキャンセルしてしまって。お互い様よ」
「やさしいなあ…大事にしろよ」
「してるよ」

 ティナも持ち帰り仕事で土日が潰れることが多い。転職を考えているようで引き継ぎにも神経を使っている。お互い余裕がなく、かつ疲れていた。
 もちろん何度か予定を合わせようとはした。春は彼女が休日出勤しなくてはならずキャンセルし、日を変えて組んだ予定は彼女が残業で疲労困憊。僕も先輩に頼まれて連日バイトのシフトを代わり疲れが溜まっていた。二度取りやめにしてしまったのだ。
 その上での今日だった。

「なんかホントに邪魔じゃない? 俺たち」
「だよね、ゴメンなさい…久しぶりのデートなのに」
 本当だよいい加減にしろと言いたいところだが、ティナの手前こらえる。
「ううん、楽しいからいいの。ね、お買い物行かない? 私買いたいものがあるの」
 とうに食べ終わっていたティナがぽんと手を叩いて彼女を見る。
「あ、私も気になるのが…いいんですか? ほんとに? じゃあ行きましょう!」
「嬉しい! たまくんたちはゆっくり食べててね」
「え!? ちょっとティナ……!」
「………だってさ」

 そうこうしているうちにティナは彼女を誘ってショップに繰り出してしまった。急いで昼食を詰めこみ後を追うと、男どもの存在など忘れたように季節限定のグッズに目を輝かせている。本当ならティナに好きなものを買ってあげたかったが、女子特有と言えばいいのか割って入れる雰囲気ではない。

 級友の憐れそうに見てくる視線がうっとうしい。自分だって置いてかれてるくせに。
 仕方なくメルヘン満載の棚を見ていると、近くのカップルが狭い通路を塞いで動かない。お揃いのTシャツにカチューシャという、ここではあちこちで見られるいで立ちだ。男は相手の腰に手を回し今にもキスしそうな密着ぶりで買い物している。
 棚を迂回して離れ、周りを見てみると同じようなカップルだらけだ。自然とため息をつく。
 いつの間にか級友が隣に来て、手持ち無沙汰にお土産を物色しながらぼそっと呟いた。
「今『いいなあ』って思っただろ」
「思ってない」
「いや絶対思ったね」
「仲が良くていいんじゃないの」
「それってどっちのことだよ」
「………え?」
「素直じゃないねえ」
「…そっちだって。好きな子の前で人の彼女を褒めちぎるのはどうかと思う」

 相手は痛いところを突かれたのか、うっ、だってほんとに可愛かったしと言葉に詰まる。しばらくまぶしそうに店の奥ではしゃぐ二人を見ていたが、おもむろに口を開いた。
「なあ、言ってないんだろ」
「…うん」
「隠しててもいい事ないぜ」
「わかってる」
「できる限りはフォローする。こっちも付き合わせて悪かったし」
「いやいいよ……助かる」
「それに俺としちゃ二人が見せつけてくれたほうがいいんだわ」
 何それ、と彼の方を見ると、意味ありげに口の端を持ち上げた。
「おう、作戦があるんだけどさ……」



 会計を済ませた二人は両手に袋を下げ、モーグリ耳のカチューシャをお揃いで着けていた。赤いポンポンが二つ並んで揺れている。
「たまくんのも選んでみたんだけど、どう?」
「僕に? か、かわいいね……ありがとう」
 つけるとチョコボに頭をかじられているように見えるデザインのカチューシャを、期待のこもった瞳でどうぞと手渡される。これで着けないという選択肢はない。僕の頭をかじるチョコボを見てティナは目を輝かせた。

「たまくんたちも買い物したの?」と僕の顔の少し上を見て話すティナ。ちょっと切ない。
「まあね」
「おう、ちょっとな」
「ふーん、それよりこれ! 可愛いでしょ? ほらほら」
 少女がもう一つカチューシャを袋から取り出す。他のものよりシルエットがやたらと大きい。
「俺にもくれんの? おー、サンキュ! ってモルボルじゃん! なんで? 俺嫌われてんの!?」
「あははは! 似合うと思ったんだよね」
「あっホント! 可愛い…! モルボルの足が前髪みたいね!」
「ティナさんまで何気にヒドイことを!?」
「ぶっ……」
「笑うなよぉ!」


 結局その後も四人で行動することになった。また質問責めにされたが、彼らのおかげで人気のアトラクションの待ち時間も苦にならずに済んだ。まあティナと二人なら苦どころか……考えるのはよそう。
 ジェットコースターに並ぶ列で、ふとティナが僕の腕に触れる。なに、と唇を動かしティナに微笑む。その時彼女の向こう、視界の端で切なげに口元をゆがめる少女が目に入った。………まずい。

「おっ、変な顔して怖いんだろー?」
「違うよ…私ジェットコースター大好きだし。あっちの『バハムート』も乗りたかったな」
「す、涼しいからこっちのがいいって絶対!」
 焦りだす級友にティナが賛同する。
「私も気になるから、これに乗ってからにしない?」
「……そ、そうそう。どっちも乗ればいいよ」
 助け舟を出してくれた級友に心の中で感謝していると、ようやく順番が来たらしく乗り場に案内される。四人一列に座り、ガタンガタンとコースターが急勾配を登る。端の座席にちらりと見えた級友の笑顔はなぜか引きつっていた。

 「タイダルウェイブ」はその名の通り国内ではめずらしく水を使ったコースターだ。
 360度の宙返りループ、きりもみ回転しながら水面すれすれを走り抜けるコースはさながら龍神の背につかまりぶん回されている気分になること請け合いで夏にぴったりの……などと考えている余裕はなかった。パークの売りであるもう一つのコースター、バハムートよりスケールは劣るが目が回りそうなスピード感は負けていない。

 かろうじて見えた隣のティナはきゃっきゃと歓声を上げてかなり楽しそうだ。ティナって意外とこういうの好きなんだよな。昔サマーキャンプで作ったツリーハウスも気に入ってたし、高いところが好きなんだろう。今度は首都名所のCタワーに連れて行こうか……最後の急降下、一瞬和んだ気持ちに冷水を浴びせるかのようにざばんと水しぶきがかけられた。




 ◇◆◇




「腰、大丈夫?」
「うう、ティナさん優しい…その上アイスまでおごってくれるなんて天使じゃね?」
「ご馳走になります…もう、無理して腰抜かしてんじゃないわよ。怖いのあんたの方じゃないの!」
「でも涼しくなっただろ?」
「なったけど……そんなにTシャツ着たかったわけ?」

 ジェットコースターから降り、思いのほかずぶ濡れになった僕らは揃いのTシャツに着替えていた。
 モーグリとチョコボとサボテンダーが一面にぎゅっと詰め込まれたなかなかに可愛いデザインだ。用意がいいことを訝しがっていた彼女とティナも「かわいい!」と嬉しそうで安心する。
 作戦を持ち掛けてきた級友にくだらないと言ったことを謝りたい。作戦の成功と健闘を目線で称え合う。何よりティナの濡れたシャツが背中の肌に張り付き、黒のインナーが透けてる様なんてめったと見れるものじゃない。
 そして今、ベンチで休憩がてらアイスを食べている。が、同級生二人の様子は乗る前と真逆だ。

「その辺にしときなよ。カッコつけたかったんだろ」
「苦手なのに一緒に乗ってくれたのね。いい人……」
「ですよねー!?」
「自分で言ったら意味ないの!」
 明るい二人を見てティナが楽しげに笑う。その口元にクリームが付いている。
「ティナ」
 ん? と振り向いたティナの唇のはしを指でぬぐい、一瞬迷ってタオルで拭く。
「……!」
 ティナは照れたように僕を見据え、頰を赤くしてうつむいた。
 何気なくこちらを向いてそれを見た同級生の少女がはっと瞬きし、苦笑いの表情へ変わる。
「……ほんとに好きなんだなぁ、お互いに」
 言い終わるころにはその口元に苦笑いのかけらも残っていなかった。

 ──やめてくれよ。そんな顔して、引っ掻き回すのは。
 見ていられずに目をそらす。僕とは違いティナはその表情を見逃さなかったらしく心配そうに彼女の顔を覗きこむ。
「どうしたの?」
「いえ……羨ましいなあって。私、最近失恋しちゃって、あはは」
「……つらいのね」

 膝に置かれた彼女の指先をティナがそっと包んで握る。彼女の茶色の瞳が驚いて見開かれ、いっそう潤む。
 負けていられないと思ったのか彼女を挟んだ反対側から、ずいと級友も覗きこんだ。
「お、俺もいるよ!?」
「あんたかぁ…」
「やっぱダメか…」
「ううん、慰めてくれてありがと」
 彼女はふっと表情を和らげ、僕は内心胸を撫で下ろす。

 誰が悪いわけでもない。
 ティナに何も話さなかったのが裏目に出た。ライトさんが知ったら慢心鼻を弾かる、と喝を入れられそうだ。
 どうティナをフォローしようか考えていると、奴と目が合う。焦っているのかコーンから溶け出したアイスが手に垂れている。目を落とすと僕のも溶けかかっていた。
 僕はティナと二人になりたいし、奴は彼女の気を引きたい。利害は最初から一致していた。かぶりつくようにアイスを平らげて頷き合う。
「あのさ、アレ乗らない?」
「観覧車か! 行こう行こう、ちょうどこれからライトアップされるし」
「そうだね、行こっか」


 その後軽く腹ごしらえをし、二人と別れて僕らはこの通り重い雰囲気というわけだった。携帯端末から通知音が聞こえ見てみると、メッセージが届いている。
『お前の必死な顔って面白いな』
「………」

『そっちこそ上手くやりなよ』
 とだけ返信して画面を暗くする。

 ティナには、観覧車の中で伝えた。
 オレンジ色に染まりライトアップし始めるパークを見下ろして嬉しそうだ。気が重い。
「あの、さ…ティナ。気がついたかもしれないけど……夏休み前、告白されたんだ。あの子に」
 ティナがこちらを見て目を丸くし、唇がかるく開く。モーグリのポンポンがかすかに揺れ、繋いでいた手がこわばる。そっと、離れる。
「断ったよ、当然。だからティナが心配することは何もない。……黙っててごめん。心配させたくなくて」

 落陽にきらりと反射する、控えめな光。目でたどっていくと、ラメ入りのマニキュアに彩られた指先が行き場なく小指と薬指の指輪をなぞる。その柔らかな指の腹でやさしく彼女に触れられた感触が蘇る。ぞくりと肌が粟立つ。
「………爪、可愛くしたんだ」
「…え?」
 今言うことではなかった。考え込んでいたのかティナには聞こえなかったようだ。
 それに気付くのが遅すぎる。目の前の人をよく見ないで一日何をやっていたんだろうか。なんでもない、とごまかして続ける。

「一緒にいたあいつ、その子が好きなんだ。見ただろ? 一生懸命ちょっかいかけてるの」
 付け足すとティナの目の端がほどけて少しほっとした様子になる。
「たぶん今頃いい雰囲気なんじゃないかな。あいつのことだからふざけて失敗してるかもしれないけど」

 海を臨むパークのはるか向こう、水平線に日が沈もうとしている。なにもなければキスするのに絶好のチャンスだろう。僕らのほうはそれどころか、もう一度手を繋ぎたいと言える雰囲気ですらなかった。
「そうだといいね」
 ティナは薄く笑ってそれから、車に乗り込んだ今も表情は浮かないままだ。