星々はいつの日も
「うわぁっ!」
「きゃ!?」
自分の叫び声に驚いて目を覚ますと、視界いっぱい心配そうなティナの顔が飛び込んでくる。
「ティナ!!」
反射的にその頰を両手で包んでそのまま一緒に飛び起きる。彼女は僕の手に手のひらを重ね、うっとりと微笑んで頬擦りする。それが当然とでも言うように。
「ひっ!? 寝ぼけてるのティナ!?」
「………あら?」
僕の悲鳴でティナは我に返って手を離し、瞳をぱちくりと瞬いた。
「たまちゃんこそ大丈夫? 手が濡れてるわ」
「え? どうしたんだろ。汗かな……えっと、ゴメン」
寝ぼけてるのは僕のほうだった。起きて一番にティナの頬にさわるなんて、いつもの自分では考えられない。なぜそんなことをしたのかわからないまま近すぎる距離に後退る。確かに手のひらが少し濡れている。目をこすってみるが、泣いていたわけでもなさそうだ。
「眠っていたのですよ」
「コスモス……」
樹の根元にもたれて座っているコスモスに向き直ろうとして、自分の体に強烈な違和感をおぼえる。何も変わりないはずなのに腕も足も、窮屈だ。長く寝ていたせいだろうか。
肩を回し体を解していると、まだ眠いのかティナがのんびりとした口調で言う。
「私たち、みんなでお昼寝していたみたいなの」
「そのようです」
「コスモスも?」
「ええ、気持ちが良くて、うっかり寝すぎてしまいました」
コスモスがにこりと笑う。物憂げな女神がこんな笑顔になるのはめずらしい。全員揃って寝るのはもっとめずらしかった。幸いここにはイミテーションはいないようだけど……。
大きな樹の下で、コスモスを中心に仲間たちが寝転がっている。見渡すと草地が広がり、よく晴れて風も気持ちいい。小川が近いのかさらさらと水音もする。確かに昼寝日和だ。でも何か変な感じがする。もう何年も、寝ていたような。
コスモスの膝から頭を起こしたライトさんが、彼女を不思議そうにじっと見ている。髪が四方八方に跳ねてぼさぼさだ。コスモスのたおやかな手がそれをやさしく撫でつける。我らがリーダーはおとなしい大型の動物みたいにその手を受けている。
「嬉しそうじゃな」
「ぎゃっ、暗闇の雲! おまえもいたのか」
樹の上から声がして見上げると、暗闇の雲のマントから触手が伸びて噛みつこうとする。それをしっしっと追い払っていると、雲は身に覚えのないことを口走った。
「居たら悪いか。さんざん世話になっておいて小童が」
「何のこと? 世話になんかなるもんか!」
「覚えておらんのか、つまらん」
「はあ!?」
暗闇の雲はまるで僕を相手にせず、コスモスに向かって悪くない夢だった、と言う。
「そうですか、それは良かった」
コスモスもさして動じずに返事する。雲は触手と一緒に欠伸してふわふわと去って行った。
「雲さんもあくびするのね」
「雲さん? ティナ、あいつのことそんな呼び方してたっけ?」
「……してたかしら…? たくさん寝たから頭がぼうっとするわ」
ティナは目をこすり、うーんと伸びをする。反らされた胸から視線を外すと、彼女があっと声を上げた。たまちゃん聞いて、と僕の腕を取る。
「私ね、夢の中でお嫁さんになったのよ。知ってた? 花嫁さんって白いドレスを着るの! ドキドキしちゃった……!」
彼女にしてははきはきと興奮気味に話す。
「早く言いたくて、あなたが起きるのを待ってたの」
「待ってた? 僕を……ああ、それで目の前に」
なんだかよくわからないが、すごく嬉しい。
起きるのを見ててくれた。ただそれだけのことに胸がいっぱいになる。
「こうしてブーケを持ってね……」
言葉が出ないでいるとティナは僕の腕に、花束を持つみたいに両手を添える。本当にきれいだったんだ。そう、あのときもこんな風だった。
…………あのとき?
「……!? …………っ!! だ、誰とっ、結婚したの」
「それが、覚えてないの。でも私、大好きだったわ。その人のこと」
「うん僕も大す……おな、同じ夢見たかも! ティナの相手はよく覚えてないや…はは」
笑いながら僕は悲しくなった。
たった今、腕が短く感じる理由を思い出したからだ。ティナが覚えてないなら言わないほうがいいだろう。でも気持ちをごまかしたくなかった。取られていた手首をずらしてティナの手を握り、もう片方の手を重ねる。
「ティナがすごくきれいだったのは覚えてる」
じっ、と見つめて伝えるとティナの頰がばら色に染まっていく。彼女はそれに戸惑うように首を傾げ、頰に手を当てた。
ティナと結婚したことは覚えてる。
彼女がとても可愛かったことも。
でも何がどうなって結婚に至ったのかは、白いもやに阻まれたように思い出せなかった。
「あのね、私のお婿さん、あなたに似ていたような気がするわ」
そりゃそうさ、だってそれ、僕なんだ! 言いかけてぐっと飲み込む。代わりに口をつくのは、つっかえながらでも伝えたい心だ。
「ティナ、僕、元の世界に帰っても、会いに行くよ。必ず。流れ星になってでも、会いに行くから」
「流れ星……? すてきね。うん。待ってる」
ティナは急に話を変えられて理解できないようだったが、おっとりと頷く。この言葉をくれたのは君なんだ。そうか、だから泣いてたんだ。嬉しくて。
「なんだなんだ寝起きに」
「愛の告白だね。ふあぁ……」
「もうちょっと見ていたかったなー…いいとこだったのに」
バッツが髪をチョコボみたいに跳ねさせて起き上がる。他の仲間たちも目を覚ましたようだ。
「何か勉強してたような……スコール、学校って楽しいのか?」
「俺に聞くな」
「んー、女の子とデートする夢見たかも?」
「オレも!」
「私は………」
「良い休息になったようで何よりです」
コスモスが仲間たちの真ん中で、うんうんと頷いて夢の話を聞いている。なんだかお母さんみたいだ。
「たまちゃん」
振り向くとティナが僕の顔を見つめている。
「あなたの目、きれい……日が当たると、夏の前の葉っぱが太陽に透けてるみたいね」
耳に降る柔らかな声に反応できずにいると、ティナは見て、とそよぐ葉に手をかざす。目を細める。木漏れ日が、白い頬をくすぐるように揺れた。
「……っあ………!」
頰が燃え上がった。クリスタルのかけらがきらきらと、胸の中で甘く溶け出している。いつか、いつからか僕の中にあったもの。息ができなくなるような感覚に助けを求めてコスモスを仰ぎ見ると、女神は何もかも知っているような顔で微笑んだ。
「さーて一眠りしたし、いっちょ手合わせするか!」
「今日の晩飯当番誰だっけ?」
「……見回りしてくる」
「あっ! 僕も行くよ。じゃ…またね、ティナ」
「いってらっしゃい、たまちゃん」
「うん! ……ありがとう」
小さくお礼を言ってから、照れくさくてクラウドの後から駆けだす。ティナがどういたしまして、と笑んで手を振り、ジタンもついてくる。
「機嫌いいな、たまはどんな夢見たんだ?」
「教えない」
「なんだよケチ」
「そういうジタンは?」
「ん? オレはさ〜、夢でも芝居してたぜ」
クラウドが歩みを緩めちらりと後ろを見る。横に並ぶと肩を叩かれ、また大剣を担いで走っていく。
「……え?」
「何だあいつ?」
なぜか嬉しくなって僕も駆けだす。ざざざ、と草をかき分けてジタンが追ってくる。
「追い越してみなよ!」
挑発して足を早めると、マントがはためく。肌に当たる風が強くなる。そうだ、あの晩はもっともっと、シヴァの息より冷たかった。
覚えているんだ。ティナに会うために、真っ暗な星の間を旅したのを。小さなオレンジ色の星灯りをたよりにどこまでも走った。寒くて、凍えるくらい寒くて、いつ着くのか不安になるほど遠かった。
でも──楽しかったんだ。宇宙のはてまで行けるんだから、きっと大丈夫。だからどこへでも行くよ。何度だって、行くよ。
(了)
2022.6.3