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 屋内は白に染まっていた。
 不思議なことに部屋の形は消えうせ、中空から放たれる光がこの空間の境目をあやふやにしている。まるで、出口のない袋の中みたいな。

「いったい……」
「たま! ティナも! 思い出したのか?」
「ティーダ! みんなも?」
 ティーダは複雑そうに頷く。
 白い空間には錚々たる面子が揃っていた。
 混沌の戦士も幾人か混じり、秩序の戦士たちは見知った顔が仲間や闘争の相手だったことに驚きを隠せない様子だ。
 光の中心にコスモスが姿をあらわすと、乱闘寸前だった者たちもみな黙り見入った。淡く円くコスモスを囲む虹の光環に、ふとハロを指さすヴァンの眠たい横顔が思い浮かぶ。
 おもむろに女神が口をひらく。

 ──私は、なにもない夢を見ていました。
 ここでは私は名前のない数字でした。
 なにもないところからまずあなたをつくり、あなたからあなたをつくったのです。そして順に、あなたたちを。

 コスモスはライトさんを見、続いてフリオニールを見て言い、最後にぐるりと周りを見渡した。
「……空集合くうしゅうごうか」
 女神の視線をたどっていたライトさんが、何か落ちてきたようにぽつりと呟く。
「なんだって?」
「高校数学の範囲だね」
 わけがわからないといった表情のジタンに補足すると、さらに肩をすくめた。
「んなモン覚えてねえよ」
「ここが夢だってのはわかったけどさ、いきなり数字とかワケわかんねー」
 ティーダが頭をかきながら言う。数学は専門外だが、教科書の内容は頭に入っている。
「要素をもたない、あり得ない設定の集まりのことだけど……それと何の関係があるんだろう」
 コスモスの言葉から推測すると、僕らは「なにもない」を表すために集められた数字ということになる。しかし、なぜ。

「やっと、みな揃いました。いえ、遅れたのは私ですね」
 コスモスは申し訳なさそうに頭を垂れる。
「ここは束の間の休息になればと、眠りによせて生成した世界でした。各々自由に過ごしてもらい、頃合いを見て目を覚ますつもりだったのです。しかし……うっかり自然数──ゼロに還ってしまいまして。私は夢からはじかれ、残された夢が増殖し始めたのです」
 ガーランドと横目でにらみ合っていたライトさんが、コスモスを恨めし気に見る。彼女が事故で亡くなった時の沈みようを思えば無理もない。

 コスモスがライトさんに微笑む。
「あなたが私によく語りかけてくれたおかげで、この場所を知ることができました」
 コスモスは僕とティナを見る。
「あなたたちのおかげで戦士が集ったのです。ありがとう……そして、ごめんなさい」

 ありがとう、か。
 もやが晴れるように、今まで引っかかりを覚えていた事に納得がいく。
 時々見る夢、既視感。ルーネスは僕になにかおかしいと訴えかけていた。ティナについて忠告してくれたエリアもおそらく僕に縁のある人物なのだろう。みんな、ありがとうと胸に留める。

 ティナに対して自制心を保てた訳も。
 夢を見ている騎士の僕は、自分で自分に堅く堅く制約をかけていた。
「何人もティナに手を出すべからず」……それには当然自分も含まれる。結局自らその誓いを破ってしまったわけだが、限界まで我慢したほうだと思う。ストップをかけていた潜在意識がOKを出したのは、一人前になりティナに愛されていることを認めたからだろう。

「なにも、こんな日でなくたって……いや、今日しかなかったのか。ところで呼んでない奴もいるんだけど」
 わざわざドレスアップして来たアルティミシアがひらひらと手を振った。角みたいな髪もなく、顔の紋様も羽もなく、一見普通の綺麗な女性だ。ドレスが派手で露出が激しすぎることを除いては。コスモスが頷いて言う。
「場をつくるため、『目が覚めて』いた者に呼びかけて来てもらったのです」

 カオスの連中が全員揃っていないのは、元々がイレギュラーだからか。
 同じテーブルで、ここでは教師をしていた皇帝が尊大に足を組みワインを傾けている。顧問として接した、職員室での彼とあまり変わりない。もしかしたら奴は最初から「目覚めて」いたのだろうか。ガーランドも招待に応えてくれたし、こいつら結構いい奴なんじゃないかという気がしてくる。
 皇帝が僕の視線に気づいて意地悪く笑う。前言撤回。コスモスの「遊び」につきあって、戦いとは無縁のこの世界を彼らなりに楽しんでいたのかもしれない。

「私たちは長く眠りすぎてしまいました。名残惜しい気持ちはわかりますが、もう、目を覚まさなければなりません」
 いつの間にか戦士でない招待客の姿は消えていた。
 ライトニングが秩序の戦士でなかったことを意外に思う。家族想いの彼女のことだ、真実を聞いたら憤ってコスモスに剣を向けていたかもしれない。……剣?
 確かにライトニングは剣道の有段者だったが、と浮かんだイメージに首を傾げていると、ティーダが僕を見てコスモスに訴える。

「そんなのアリかよ、ひどくないッスか? どうにかならないのかよ!」
 彼に同調するように野次が飛ぶ。素直に従う者たちばかりではない。だが、彼の訴えにコスモスはただ首を振るだけだった。
 ティーダが「夢なら……仕方ないのか」と呟いて数字になり、女神の手へ飛びこむように吸いよせられる。海を閉じ込めたような「10」だった。

 ジタンが駆け寄ってきて最後の冗談を言う。
「ティナちゃん、次の夢ではオレと結婚してくれるかい?」
「もう、ジタンったら」
 ティナが憂い顔を緩ませるのを見て、ジタンはくしゃりと顔を歪めた。
「……そんな顔するなよ」
「また後でな」
 ポンポンと僕の肩を叩いてジタンは「9」になった。手のひらに落ちてきたそれは木のような材質でほんのりと温かく、よく遊んだアナログゲームの駒に似ていた。くるくると浮き上がり、コスモスの手の中へ収まっていく。

 少し離れた場所からスコールがこちらを気の毒そうに見ている。
 スコールは、恋人と来ていた。何も僕だけが辛いわけじゃない。彼だって、いや、みなそれぞれここでの人生があった。じっと見返すと、スコールはじゃあなと手を上げて茜色の「8」になった。

「姉さん、セリス……みんな」
 振り返ると、ショックを受けるティナをクラウドが不器用に元気付けている。クラウドと僕らは夢でも似た関係だったんだ。彼が早く来いと手招きする。
 二人のもとへ走り寄ると、クラウドは僕の背中を思い切りばしんと叩き、あとは任せたとばかりに「7」になった。鈍く光る金属質の数字が宙に浮き、コスモスの手へと吸い込まれる。次は。

「……ティナ、」
「私、あなたを忘れないわ」
 ティナは泣いていた。
「覚えてなくても、目が覚めて、何もかも終わって、魔法が使えなくても。流れ星になって、会いに行くわ、きっと……」
 抱きしめて頬擦りする。
「ティナ! 僕もっ……僕もだ」
 ティナの泣き顔を目に焼き付け、最後に、もう一度だけキスをする。
 戦いの中では、ティナとこんな風にはなれなかっただろう。「あり得ない」とはよく言ったものだ。これだけは、本当にこれだけは感謝してもいい。細い腰を思い切り腕に抱きしめる。
 ゆっくりと目蓋を開け、唇が離れた途端、ティナの髪を飾っていた生花が解けて舞う。その中に彼女の姿はなく、ひとつだけ違う速度で落ちるものを手のひらで受け止める。「6」の駒だった。

 ぽたんと彼女の最後にこぼした涙が駒の上に落ち、弾けるようにコロンが香る。……忘れな草か。ティナも、無意識に抗っていた。
 遅れてもう一粒落ちる。
 目の色が新緑だって、春が好きだって、ティナは言ってくれた。僕の生まれたらしい春を。
 言えばよかった。好きになったのはあの時だと、覚えてないなんて嘘つかずに。
 あとからあとから、手にぼたぼたと生暖かい水が落ちる。
「6」は白くて、濡れて、すべすべしていた。嵌まった緑の石がささやくようにきらりと濡れた光を放つ。

 頬を拭い、駒をぎゅっと握って自分の番を待つ。カオスの戦士は自分の意志で戻り、すでに周りの半数以上が夢から目覚めていた。仲間たちはそれぞれ還る前に僕に声をかけていく。
 バッツがそばに来て、僕の肩をぐっと握る。
「……痛いよ」
「大丈夫だ、また会える。会えるなら、どうとでもなる」
 眉間にしわをよせ腕に力をこめて、優しく言う。そして、結構楽しかったと言いながら「5」に変わる。

 僕には自分の数字がわかっていた。代わりに、もうこの世界での自分の名前を思い出すことができない。
 ここでの記憶は持って帰れないのだろう。ガーランドも雲も、皇帝でさえ僕らに良くしてくれた。覚えていたら戦えない。目が覚めたら忘れているはずだ。ティナとの恋も、何もかも。

 セシルには家族があった。
 眉を下げて寂しそうに笑うセシルを見送り、残ったのは、あつらえたように正装が似合うライトさんと着慣れなさが拭えないフリオニール、そして僕だ。
「ライトさん…」
「君と家族になって楽しかった。とても」
「ライトさん……っ!」
 彼は大丈夫だ、と言うように肩に手を置く。
 また泣いてしまいそうになるが、フリオニールの浅黒い頰が赤くなっているのを見てこらえる。フリオニールは夢の中でも優しかった。ティナとふたりで彼のところへ旅行し結婚を報告すると、今みたいに顔を赤くして目を潤ませていた。彼の手が空いたほうの肩に置かれる。
「……みんな寄ってたかって僕を泣かしに来るんだ」
 二人の手は温かい。

 コスモスが無表情に、いや、ほんの少し申し訳なさそうな色で見下ろしている。フリオニールが納得できないと口を開く。
「コスモス、なぜ、何も言わずに目を覚まさせてくれれば皆、こんな思いを……!」
「この夢は、空の袋のようなもの。ですがあらゆるものが詰め込まれています。肥大しすぎた夢の中にあっては、自ら出なければ意識ごと弾け飛んでしまうかもしれません」

 ライトさんが抗議する。
「しかし、コスモス! これでは彼があまりにも……!」
「あるはずのない夢も、選ばなかった道も、今ある世界を構成する可能性のひとつ。夢をおぼえていること──ときどき、ありませんか?」
「……!」
「私も、家族というものが楽しかった。あなたたちが可愛くて、とても可愛くて。毎日が、それはシャボン玉のようでした」
 すぐに割れてしまいましたが、と女神は目を伏せる。ライトさんの横顔がはっとして、瞳が潤んだように見える。

 深く息を吸い、吐く。
「はぁ、神様っていうのは、あきれるくらい試練を課すのが好きだよね……また、始めればいいさ。目が覚めたらやらなくちゃならないことが待ってるんだから」

 左を、右を見て頷く。
 コスモスが手を差し伸べると、視界がくるりと回転し始める。
 とっさにティナの数字をぐっと胸に押しつける。冬の朝、秋の夕に染まる、春の夜の儚げな、砂浜で笑う──僕に魔法をかける彼女の面影が流れ去る。なにか、何か、何かひとつでもいいから。

 ──落ちる……!
 虹の光環へ、空に向かって落ちていく。

2022.6.1
Girl Of My Dreams(夢みたいな女の子、夢の中の女の子)