ジタンの持論

「オマエは母の日か!!」
 ティナの引越し祝いにエプロンをプレゼントしたと言うと、三つ上の兄は吠えた。

 三月初旬の某日。
 志望大合格を連絡した二日後には、昼間誰もいないはずの家でジタンが中華鍋を煽っていて驚いた。
 今晩にも所属する劇団の本拠地である首都へ取って返すという。引っ越しの日にまたこちらへ戻り、僕の荷物を車で寮まで運んでもらう段取りになっている。劇団の後輩も好意で手伝ってくれるらしい。
 家を出る前は中華料理店でバイトしていたジタンの炒飯は今でも絶品だ。そして今ダメ出しを受けながらそれをかき込んでいる。正直、帰ってくると思わなかったから気恥ずかしいが、そんな気持ちもさっきの叫びで吹き飛ばされる。

「別にいいだろ。自炊始めたって言ってたし。何だったら文句ないのさ」
 次兄はよくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに胸を叩いた。
「女の子の好みの色柄なのは大前提、素肌に着けた時映えるデザインかどうかが大事だ!」
 あきれてものも言えないでいると、他に誰もいないのに口元に手を添え小声で続ける。
「ソレ用じゃなくてもさ、想定しておけばイザって時使えるからな?」
「……他に言いたいことはある?」
「過ぎたこたぁいんだよ。んで、お返しは」

 迫り来るホワイトデーのことだ。イベントのたびに叩き込まれた贈り物の鉄則が頭をよぎる。花、アクセサリー、香りの物、そして一番大事なのは気持ち。頭でわかっていても選ぶのは案外難しいものだ。

「……桜の香りのボディケア用品詰め合わせ」
 某人気ショップの限定品でと名前を出したが、金髪の頭はがくっと垂れる。

「んー…悪かないけど実用一辺倒だな。もうちょっと愛とか夢とか、なあ?」
「そこは桜で満たしてない? 愛と夢だけじゃ暮らせないよ、普段手の出ない価格帯の消耗品って喜ばれると思うんだけど」

 結構前から考えてたし、とこぼすとジタンはこっちを指さして吹き出すのをこらえている。プークスクス、と聞こえてきそうな顔だ。腹立つな。

「オレの言いたいのはだな、もうすぐ離れ離れだってのに、指輪のひとつも渡さないでどうする!」
「そういうのは、働いてちゃんとしたものを──」
「あのなあ、距離ってのは、大きいぞ」

 うーん、なんとなくだけどさ。ジタンは佇まいを正してこちらを向いた。僕もつられて座り直す。
「ティナちゃん、適当な相手見つけてサクッと結婚しちまいそうなんだよな。お前が向こうにいる間に」
「縁起でもない! ……っていうかティナは行き遅れるタイプだと思う」

 お前にとっちゃ、そうだろうな。ジタンは静かに言った。そうだろうか。結婚……ティナの『おばさん』が喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「だって付き合ってないんだろ」
「う……」
 怯んだ僕に、兄は追い打ちをかける。
「行き遅れる? そう都合よく行くかよ。ティナちゃん子供好きだろ? お前が卒業して働き出す頃にゃ、知らない男と子供も出来て幸せいっぱい、ってな」
「……ぐぅっ!!」
「そんな顔するなよ……つーかさ、お前、避けられてね? ライトから聞いたぜ。バレンタインなんて毎年人ん家でベタベタしてんじゃねーか」
「ベタベタ!? 今年は受験だから気を使ってくれたんだ。…それ抜きにしても、多分、避けられてる」

 バレンタインにうちに来た時も、玄関先でライトさんにチョコを渡し、受験がんばってね、風邪ひかないでねと言付けて帰ってしまったらしい。何よりショックだったのは、今まで僕の分だけあった特別感が、ない。どこを探してもない。ラッピングも中身もライトさんのと一緒。今までそれを支えに生きてきた、は言い過ぎだが今年も大丈夫だったというティナの気持ちの指針にしていた感はある。

「まー向こうで色んな女の子と付き合ってみてからでも悪くないよな」
「冗談じゃないよ。ティナが気になってそんなことできない」
「そういうスリルが良かったりするんだぜ」
「僕が好きなのはティナだけだ」
「ふーん…それで、お前は告白もしないでティナちゃんを繋ぎとめてられると思ってんのかよ?」
「一度、五年前に……」

 ジタンはお話にもならないという風に手を振り、そりゃ、告白のうちに入らねーな、
「女の子にとっちゃ、『好きな相手に指輪をもらうこと』が大事なんだ。値段なんかどうでもいい。300円の安っちい指輪だっていい」
 と持論を展開する。
「ティナの今の気持ちもわからないのに」
「ちなみに好きじゃない相手なら値段と石とブランドが一番大事」
「どうしろって言うのさ……」
「渡してみればわかるさ。任せときなって。今から指輪見に行くぞ、時間ないんだ」
「……そうだね。うん、頼むよ。ごちそうさま」
「そうこなくっちゃな!」
 ジタンはにかっと笑って両手をぱんと握り合わせる。
「くれぐれもオレの『可憐な年上の義妹』計画を台無しにするなよ!」
「知るか!」
 年上の義妹にどれほどの需要があるのか気になったが、ジタンのアドバイスが今は必要だ。指輪か……贈るならどんなものがいいか考えたことはある。繊細な、小さな石のついた───。

2018.06.12