道草綿毛と人形娘

 しゃがみ込んで、たんぽぽの綿毛を一つ残らず吹き飛ばす。もう一人で行っちゃおうかな。
 ライトさんから、小学校にあがるまで一人で図書館に行っちゃいけないと言われている。だけど「ちょっとだけ!」ってジタンがボール遊びに混ざって出てこないのがわるいんだ。

 それは、ライトさんがぼくらを迎えにきて、一緒に暮らせるようになってすぐのことだった。  

 立ち上がって見回すと、くらっとめまいがした。ジタンはまだ来ない。
 だいたい、あいつと図書館に行ってもつまらなさそうにしているし、飽きたらふざけ出して迷惑なんだ。どっちが弟だかわからない。
 本当はライトさんと来たほうが、ずっと楽しい。ぼくが読めない漢字を教えてもらえるし、高い所の本を取ってもらえるからだ。だけどライトさんは、日曜日なのにうちで仕事をしている。
 日曜日だから、公園は親子でいっぱいだ。あーあ。ぼくにはライトさんがいるからいいんだ。ライトさんは、公園にいるどのお父さんよりかっこいい。
 ライトさんが、おやつを用意して待ってるって言ったから、いいんだ。

 人のいない方へいない方へと歩いていくと、木がたくさん植わっている公園のはしっこの方に、人形のようなものが見えて、ぼくはどきっとした。

 木の根元にもたれてお行儀よく座っているそれが気になって、目をこらしながら近づいて行く。きれいな四角に刈ってある、背の高い繁みの後ろからのぞいてみる。

 人形は、女の子だった。
 おもちゃ売り場で売っている、髪の毛のふわふわした女の子の人形にそっくりな、人間だった。ぼくより大きい女の子だ。
 女の子は笑っても泣いてもなくて、顔は上がっているのに、どこも見ていないように見えた。
 三匹の鳥が、動かない女の子に近すぎない距離でちょんちょん跳ねながら、地面をつついて虫か何かを食べている。何だろう。ライトさんがいれば聞けたのにな。

 ぼくはこれ以上、その子に近づきたくなかった。どうしていやな感じがするんだろう。ライトさんはいつも、何事もよく考えなさいと言うから考えてみる。

 ぴくりとも動かない白い顔を見た。
 がらんとした家のことを思い出した。

 海に落としたガラス玉みたいな目を見た。
 お母さんがいなくなって、ぼんやりしていたライトさんを思い出した。

 笑ったことがないみたいなくちびるを見た。
 話しかけても笑わないライトさんを思い出した。

 ぼくは図書館にいくのをやめた。
 ぼくは、大人になったら働いてライトさんを助けるのだ。だからライトさんに似ているあの子も助けなくてはならない。

 影になった木の下に忍び足で近寄ると、鳥は飛んでいってしまった。
「何してるの?」
 女の子がゆっくりと首を動かしてぼくを見た。
「…鳥を見てたの」
「なんで?」
「鳥も、ごはんを食べるんだなあって…」
 女の子は本当に人形で、起動スイッチを入れたのがぼくだったらという想像をしていると、彼女は変なことを言った。そんなの当たり前だ。話を聞きたくなって問いかける。
「どうしてこんな所でじっとしてたのさ」
「……おばさんに心配かけたくないから」
「おばさん?」

 黙って続きを待っていると、女の子はとぎれとぎれに話し出した。
 おばさんはね、あんまりお料理が得意じゃないの。ふだんは帰りが遅いから出来合いのが多いけど、ときどき作ってくれるの。
 初めてご飯を作ってくれた時、わたし、おかあさんが作ってくれたみたいで嬉しくて泣いたら、おばさんが『まずかったか?』って…ずっと謝るの。

 女の子の話をぼくはただ「ふうん」と言って聞いていた。その「おばさん」は、ライトさんに少し似ているかもしれない。
 そして…女の子がほとんど「お父さん」や「お母さん」という言葉を使わないことに心の中でちょっとだけ、ほっとしていた。

 女の子は続ける。勉強も遊びも、何をやっても上手くいかず、クラスのみんなに相手にしてもらえない。「おばさん」は何となくそれに気付いていて、とても気にかけてくれる。それが、つらい。

 泣き出しそうな顔で呟いていた女の子は、しまいには涙をこぼし始めた。
「うちにいさせてもらっているのに、これ以上おばさんに迷惑かけられない……!」

 なるほど。
 ぼくはライトさんと一緒に見たニュースを思い出した。
 最近この国では失業者が増えている。公園で時間をつぶしている、顔にモザイクのかかった大人たち。ニュースを見ながらぼくは言った、「バカなことしてないで、次の仕事をみつければいいのに」
 目の前の女の子にはモザイクはかかっていない。「おばさん」のことが大好きな、学校で仲間はずれにされて泣いている女の子だ。
 自分より年上の、しかも女の子をなぐさめたことなんてなくて、どうしたらいいかわからない。
「セリスに会いたい…」
「セリス?」
「前にいたところの、友だち」  

 友だち。
 ぼくは突然、ひらめいた。
「なあんだ! それならぼくと図書館に行こうよ」
「えっ…?」
 わからない、という表情で見られてぼくは何だか急に恥ずかしくなった。
「あの、だからさ、…ぼくが…」
「…?」
「お、おばさんにホットケーキ作ってあげればいいんじゃない!?」
「え??」
 女の子はますます混乱している。ぼくだって自分で何を言ってるかわからないのだ。

 そうそう、これが言いたかったんだという風に、気を取り直して話を続ける。
「ライトさん…ぼくの兄さんなんだけど、元気がないとき作ってあげると喜ぶよ」
「あなたが作るの?すごいのね…」
「簡単だよ! 袋の裏に書いてあるとおりにすればいいんだ」
 いつも混ぜる時ボウルを押さえてもらうことや、片方を支えてもらわないとひっくり返せないことは言わなかった。
「そういうものなの…?」
 尊敬の目で見られて、ぼくはなんとなく胸を張る。女の子はどうやら世間知らず、というやつらしい。クラスで浮いてしまうわけが少しわかった気がした。
 これは、ちょっとの間ぼくがめんどうを見てあげた方がいいかもしれない。  

 悩んでいると、女の子と同い年くらいの女子の一団が通りがかった。
 女の子の顔はみるみる真っ青になっていく。うつむいてくちびるをかんでいる。
 ぼくはというと、年上の女の子の集団がこわくて何も言うことができない。彼女たちは、こっちをちらちら見て笑いながら通り過ぎていった。  

 くすくす、きゃはは、やだ、あの子、あんな小さい子になぐさめてもらってる。そう言っているように見えた。
「気にすることないよ、あんなインケンなやつら……!」
 ぼくは一生懸命女の子に話しかけた。
「……難しい言葉を知っているのね」
 女の子はふりむいて、感心したようにぼくを見ている。あれ、泣いてたんじゃなかったの? まあいいか。
 そして、ほめられて嬉しくなってつい口をすべらせてしまった。
「当然! ぼくは秩序の幼児部で一番かしこいって言われてたんだ」
「幼児部……?」
 女の子は首をかしげ、それからハッとした顔でぼくを見た。  

 しまった! という気持ちと、知られてもいい、という気持ちで頭の中がごちゃ混ぜになる。
 ぼくらは、完ぺきにじゃないけどたぶん、同じだ。  

 その時、ガサリと音がして黒い影がぼくらを覆い隠した。
「おい」
 光が反対側から当たって顔はよく見えないけど、頭のシルエットがすごい。ツンツンしている。  

「お兄ちゃん…」
「またここにいたのか。帰るぞ」
 女の子がお兄ちゃんと呼んだ男の人は、背丈からして中学生か高校生くらいだった。
 黒っぽい服で、ズボンの腰から飾りのついた銀色のチェーンがじゃらじゃら出ている。こういう格好、テレビで見て知っている。“のむりっしゅ”って言うんだって。流行っているらしい。ライトさんは「理解できない」って言っていた。  

 チェーンの間で光っているきれいな石をじーっと見ていると、「何だこいつ」という目でギロリと睨まれて、ぼくは一歩あとずさった。こわい。
 ツンツン頭はぼくを害なしと判断したのか、女の子に向かって「行くぞ」と声をかける。
 女の子はぼくに向き直って、おずおずと言った。
「あの、ありがとう…」
「ぼくは何もしてないよ」
 女の子はううん、と首を振って、もう一度ありがとうと言った。じゃあねと小さく手を振り、女の子は歩き出す。
 ぼくはなんとなしに後ろから二人を見送る。  

 きょうだいでも全く同じ髪の色にはならないんだな、と二人の金色の髪を見比べていると、ツンツン頭がポケットから小さなものを出し、女の子にみせた。
「ほら」
「…モーグリ! どうしたの?」
「ゲーセンでたまたまとれた」
 女の子に人形の部分をにぎらせて、金具から手をはなす。ツンツン頭はキーホルダーをはなした手を、何回かにぎったり開いたりしたあと、下げた。  

 ぼくはぴんときた。
 けれど、女の子が嬉しそうなので黙っていることにした。小さくなり始めた二人に向け、声をあげる。
「今度、いっしょに図書館いこう!」
 女の子はぼくに手をふって、それから歩いていった。ぼくも振り返した。
 まぶたの裏に、赤い太陽と女の子の笑った顔が焼きついた。まぶしくてまばたきすると、二人の金髪の頭がきらきら光りながら遠ざかっていく。オレンジ色の夕焼けに照らされて……あれ?……なんてことだ! もうこんな時間!  

 その時、おーい! たま何してんだよ! と聞きなれた声がした。ふりむくと後ろからジタンがすごい勢いで走ってきて、ぼくの肩をたたいた。
「そんなに速く走れるなら、もっと早くきてよ!」
「あの子誰だよ? ナンパか!?」
「ナンパじゃない! 遅いよもう! 夕方じゃないか!!」
「わりぃわりぃ、いやー時代がオレを呼んでてさー」
 よくわからないことを言っているジタンを無視して、ぼくは帰ることにした。来週はぜったいライトさんと図書館にいくんだ。ジタンと一緒だと、一生着くことができない。来週まで待ちきれないときはあの子を誘ってみてもいい、と考えてぼくは気づいた。
 名前をきくのを忘れてしまった。
 きっとここに来れば、また会えるはず。  

 
 ***  

 
 彼女は子供の帰りを待っていた。
 遠縁にあたるその兄妹を初めて見たのは、まだ彼女が未成年の頃だった。
 肉親の死を受け止められず見開かれたままの目、目ばかりが大きい印象の妹と、黙してその手を握る兄。彼らの両親の葬儀だった。引き取り手がなく、今後は施設で暮らすのだという。
 自分にもすでに親はないが、しかし、あんな小さな子供が。だが、できることは何もない。
 時が過ぎ、働き始め生活が落ち着いて考えるのは、彼らと、顔も思い出せない程の昔亡くした家族の事だった。
 何かに憑かれたように施設を探し出し、会いに行く。訝しげな少年と目をぱちくりさせる少女を前に、「私と暮らさないか」と口を突いて出てしまったのは、忘れたふりで何年も心に引っ掛かっていたからだろう。  

 窓の外に目をやる。恨めしいくらい良い天気だ。
 彼女が家にいる休日、妹は「遊びにいってきます」と出かけてしまう。兄の方は何も言わず出て行く。こっちは、腹が減ったら帰って来るだろう。しかし考え過ぎのきらいがあるため要観察だ。
 妹のほうはどうだ。元々活発な質ではないそうだが、この街に住み始めてからというもの、日に日に生気がなくなるではないか。家では明るく振舞ってはいるが(本人はあれで明るいつもりらしい)、学校に馴染めていないのは明らかだった。  

 自分の料理を食べさせ泣かせてしまったこともある。料理は苦手だ、子供と話すのも得意ではない。何とか衣食住に足る生活をさせてやれてはいるが、母親らしいことをしてやれない。
 見知った顔のある、施設にいたほうが良かったのか。彼女は、彼らを引き取ったのは間違いだったのではないかと考え込む。結局自分は寂しかったのだ。自分可愛さで行動するから、こういう事になる。
 と、玄関の扉が開く音に弾かれる。  

 
 三人で囲む食卓は、いつも静かだ。広くはないダイニングに食器の触れ合う音が響く。

「どうしたんだ、それ」
 テーブルの隅に置かれたキーホルダーに、彼女が目を留めた。
「お兄ちゃんがくれたの」
 良かったな、妹にそう言いながら彼女は兄に釘をさす。
「ゲーセン通いはほどほどにしておけ」
「……そういえば」
 聞かなかった振りをして、兄が口を開く。食事時に兄が喋るのはめずらしいことだ。
「今日、友達が一人『増えた』って」
 妹は目を見開いて兄を見る。

「今度、一緒に図書館に行くそうだ」
 なぁ、ティナ。返事を促すように兄が言った。妹は驚いて兄と彼女を見比べると、頬を紅潮させてうなずいた。
「う、うん…」

「あのね!」
 頷いた姿勢のまま下を向いていた妹は、意を決して勢い良く面を上げた。
「おばさんのご飯、美味しいよ…! この間は、泣いてしまってごめんなさい」
 いきなりの告白に、彼女は目を丸くする。
「そ、それから、わたし、ホットケーキが作ってみたいの…!
 あと、あとね、おばさんと行ってみたいところがあるの、だからお仕事が休みの日に……」
 堰を切ったように話し出す妹を、兄は食べる手を止め凝視している。
「それから…セリスに手紙を書いてもいい?」  

 口を半開きに聞いていた彼らの若い『おばさん』は、驚きに笑みを混ぜた表情に変わるとこう言った。
「わかった、まずは…食べ終わったらホットケーキの材料と、便箋を買いに行くか。クラウド、お前も来い」
 妹は目を輝かせ、兄は面倒くさそうに、山盛りのオムライスを二人示し合わせたように頬張る。この静かな兄妹と、声を立てて笑うのは久し振りだと思いながら、彼女──ライトニングはスプーンを持った手でこっそりと目の端を拭った。

2015.05.26